宮沢りえさんと森田剛さんのラブラブショットが
6月21日付の『FRIDAYデジタル』でキャッチ
ネット上では、2人の雰囲気に反響が。
宮沢りえさんのこれまでの波乱万丈人生も
(夫婦ショット(今)、元旦那、破局事件、写真集)
まとめてみました。
ラブラブ買い物
都内のスーパーでのラブラブショット
フライデーショット
腕をちょこんと添えて
仲良さそうですね。
森田剛も作業着のような服で
普通なカップルに見えますね。
スーパーで一緒に普通に買い物が出来るのは
ほんと、「幸せ」を意味しているようです。
こちららは、2019年4月のショット
宮沢りえさんの娘の運動会を見学
2018年10月のショット
娘さんも、森田剛さんと仲良くなったのが
再婚の理由の1つと報じられてます。
二人の出会い
2016年に森田剛が主演を務めた
舞台『ビニールの城』で共演したことがきっかけで、
2018年3月に結婚。
宮沢りえさんにとって、
当時9歳の娘を連れての再婚でした。
気になるのは、元旦那って何をしている人?と思いますよね。
では、元旦那についても調べました。
その前に宮沢りえさんのプロフィールを
ご確認ください。
プロフィール
宮沢 りえ(みやざわりえ)
1973年4月6日生まれ、47歳、東京都練馬区出身、身長 167 cm、B型
日本人の母親と、オランダ人の父親を持つハーフ
活動期間 1985年 -現在、
11歳の頃にモデルとしてデビュー、『週刊セブンティーン』(当時)の表紙モデル
1987年(昭和62年)、CM『三井のリハウス』の初代リハウスガール
“白鳥麗子”役を務めて注目を集める。
配偶者
一般人男性(2009年 – 2016年)
森田剛(2018年 – )
事務所 :エムツー企画
では、元旦那さんについてはこちらです。
宮沢りえ離婚相手
宮沢りえさんは、2009年2月14日、妊娠6か月であることを
所属事務所からのFAXで発表。
一般人の方とご結婚されました。
発表文全文
突然、このような形でのご報告を驚かれる方も多いと思いますが、
私の大きな夢でもあった、赤ちゃんを授かりました。一昨年の終わりに知り合った彼と、ただいま6カ月の小さな命とともに、
喜びや戸惑いを何倍にも感じながら毎日を重ねられるのは、
支えてくれる人たちの大きなエネルギーがあるからだと感じています。とにかく今は、野田マップの宇宙を、松さんをはじめ共演者の皆さんと
スタッフの皆さんと誠実に、健やかに旅し終えることが、私の今の目標です。…そしてこれからは、彼と子供とオリジナリティーあふれる家庭を作って行きたいと思っています。
PS お相手の方は一般の方なので、お名前は控えさせていただきたいと思います。皆さまにはご迷惑おかけしますが、よろしくお願いいたします。
宮沢りえ 2009年2月13日
この時、宮沢りえさんは、2009年4月6日の誕生日で
36歳になりました。
相手は一般の方と報告文にはありますが、
40歳代のハワイ在住の日本人実業家
元プロサーファー。
と報じられています。
2009年4月上旬に婚姻届を提出し、4月6日にに東京都内で挙式。
同年5月20日に女児を出産。
この女児が今、一緒に住んでいる娘さん。
ですが、離婚に。
離婚されたのは、
2012年5月8日に所属事務所からのFAXで離婚協議中であるが明らかに。
2016年3月18日に正式に離婚を発表。
この時、宮沢りえさんは、42歳でした。
夫婦に亀裂が生じた理由としては
当時、ハワイで仕事をする機会が多かった夫とのすれ違い、
ドラマや舞台の出演が続き充実の一途をたどる女優業に
宮沢りえさんの気持ちが傾いていることなどが理由。
その離婚協議は難航し、娘の親権をめぐって両者の溝が埋まなく
双方に感情的なもつれが生じていたようです。
宮沢りえさんはファクスで離婚を報告
「私たち夫婦は、幾度かの話し合いを重ね、この度離婚が成立いたしました。
新たな気持ちで、役者として、母として、一人の人間としてこれからも
前進していこうと思います」
とコメントを発表。
宮沢りえは、
この結婚前に
婚約された方がいるのは、ご存じですか?
その後に、婚約破棄をしています。
宮沢りえが話題絶頂のときでした。
破談事件
宮沢りえさんは、
人気絶頂時の18歳にヌード写真集「サンタフェ」を発売し、
翌1992年に貴花田(現貴乃花親方)との婚約を電撃発表。
結婚直前に解消するなど、日本の芸能史に残る衝撃的な出来事を起こしています。
婚約時の写真はこちら
1992年11月27日、貴花田(当時関脇、現在の貴乃花親方)との婚約を発表。
当時、国民的な人気を誇っていた2人の婚約は
“世紀のカップル誕生”と大きな話題に。
しかし、
1993年1月27日、
「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、
わずか2か月間で婚約解消を発表してます。
この婚約解消には、実は、
りえママ(宮沢りえさんのお母さん)が関わっていました。
まだ、宮沢りえさん20歳の頃の話です。
このことについては、
歌手の美川憲一さんが、テレビ番組で
告白をしています。
2014年9月23日に死去した宮沢りえさんの母親、
所属事務所「エム・ツー企画」の代表取締役・宮沢光子さんに依頼され、
貴花田(現貴乃花親方)との婚約を解消するよう 宮沢りえさんに
電話で説得したことを告白。
りえママと「仲がよかった」という美川憲一さんは
ディリー2014.10.06
「婚約したときにりえママから電話があり
『やっぱり、嫁ぐところが相撲の世界だから、りえがおかみさんになれる(おかみさんとしてやっていける)ということはありえないと思うのよ』って。
それで頼まれてぶっ壊したのよ」と婚約を解消するよう、
りえを説得したことを衝撃告白した。
当時、滞在先のロサンゼルスからりえに電話をかけ、
1時間ほど話し込んだそう。
「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけた。
りえは、電話の向こうで「泣いていた」という。
「あんたもここで、好きだから、って一緒になるんじゃなくて。もう一回考え直して。女優として大成するんだから」と説得したことを明かした。
そして、破局となったようですが、
その後も、拒食症の噂で痩せすぎ報道や、お母さまの他界もあり、
一時期芸能活動もお休みされてました。
そして、2002年ごろから仕事に復帰。
時間がかかりましたね。
また、
先ほど、記載した、
人気絶頂時の18歳にヌード写真集「サンタフェ」
これすごかったんですよ。
18歳の綺麗な時を残したいということで
すごい話題となりました。
ほしい方は、ネットオークションとかであれば
手に入るようです。
まとめ
現在、森田剛さんと再婚されて
仲のよい様子が取り上げられてますが、
二人の様子は、普通で素敵です。
普通に買い物に行けることって
大切ですよね。
宮沢りえさんのその昔が信じられないですね。
いつまでも
お幸せに。
以上、onekoでした。